太閤立志伝Ⅴ

1554年 天文二十三 織田家滅亡

案の定織田が今川に踏み潰されたので、清洲の町にスカウトに行く
自分の俸給が少ないので全員起用は無理だ
柴田、前田、丹羽、あと 弓術師範枠で太田牛一さんにも来てもらった

1554年 天文二十三 備中松山城防衛戦

主命の合間に富田勢源の道場で修行していたら
尼子軍が攻めてきた とのメッセージが

対尼子の最前線たる月山富田城は 時々偵察していたのだが
一揆起きまくりで金が枯渇していたりして こちらに攻め入る余裕はなさそうだった
これはおそらく 毛利が焼き討ちなどの工作をしているのだと思われる

そのため、尼子が攻めてくる可能性は低いと見ていたのだが
尼子は尼子でも白鹿城の尼子国久が攻めてきた 新宮党ってやつか!!
鉢屋の里の忍者も合わせて総勢16000の軍が 備中松山城を包囲した

敦賀から取って返し 中条流剣術で包囲軍を切り破って籠城軍に合流した
そのまま籠城すること60余日 
ひたすら射撃で敵を削っていった結果 敵は1000以下まで数を減らし 撤退していった

こちらの損害は4~5000程度なので 戦果だけ見ると圧勝だが

  • 序盤に六文銭を習っておいた
  • 事前に城補修しておいた
  • 織田家武将の合流が間に合った

これらの要素が一つでもかけていたら落城したと思われる 割と薄氷の勝利だった

ともあれ、これで攻め込み名分が立った
そしてこの戦で家老に出世できるだけの勲功が溜まった

家老になると、遠征軍全体の指揮権を預かる場合があり
そうなると風林火山が使えるのである
今度はこちらの番だ

1155年 天文二十四 第二次備中松山城防衛戦

家老になったら軍団長任命されるかと思ったら 三村の殿様は全然指揮権を渡してこない
勲功が足りないのかと思って勲功稼ぎをしていたら また尼子が攻めてきた
今度は月山富田城の本家の方である 
あそこは兵力がカツカツで、士気低い上に定員割れするような状況だったはずだが・・・

特に裏があったわけでもなく 定員割れ&士気低い&訓練低いのグダグダ軍隊で攻めてきた
全く相手にならず ほとんど損害受けずに一蹴
兵力足りないくせに兵士捨てに来たようなもんだぞ…… 何考えてるんだ

1156年 月山富田城攻略戦

相手が勝手に兵数を減らしたので、カウンターで月山富田城に攻め込んだ
三村の殿様は全然指揮権を手放さないが 殿様の指揮でも勝てそうなくらい尼子が弱体化している

尼子本軍は弱かったが 援軍の鉢屋衆を追い払うまでに こちらの兵力もかなり削られた
両者半壊の軍が城門を挟んでにらみ合う中 獅子奮迅で突破して終了
獅子奮迅なかったら危なかったな

ともあれ 尼子最大の要害である月山富田城を落とした以上 あとは消化試合である

1157年 尼子滅亡前夜

尼子の城を片っ端から落としていったら 残り1城になったところで城主拝命条件を満たして
白鹿城の城主になった しばらくは地盤固めだ
尼子は命拾いしたな!